着信音といえども…


みなさんは、ケータイの着信音、どうしてますか?


最近の私のケータイは、セレフィカさんからの電話には、「着うた」サイトでダウンロードしたスピッツの『魔法のコトバ』のイントロが流れます♪
その他一般にかかってきた電話だと、今年はモーツァルト年なので『フィガロの結婚』序曲が鳴るよう設定していますが、でも普段は大抵マナーモードにしているので、折角のお気に入りの曲たちですが、耳にする機会はあまりないんですよね^^;


メールの着信音には、セレフィカさんからのは、この夏ずっと「風鈴の音」を設定してました。
着信があると、涼しげにチリチリーンと鳴って、なかなか良い感じでした。
9月になり、今日はもう秋めいた風の吹く一日でしたが、でももう暫く「風鈴」のままでいようと思います。
他の人からのメールは「小鳥のさえずり」になってますが、これも実にリアルかつ癒される音声で、気に入ってます。




・・・と、まぁ、私は一応、ケータイの着信音選定には、それなりのコダワリを発揮しております。
なにしろ毎日「依存症」状態で肌身離さず持ち歩いているケータイですから、わが身の一部と言っても過言ではなく、ということは、自ずとそこには「私」が表現されると思いますので、ストラップに何を付けるかは勿論のこと、「待ち受け画面」をどうするか…等々、それは気を遣ってます!
そして、そうやって「気を遣う」ことが、私にはとても楽しいことでもあります。


ちなみに、ストラップは、今はシンプルな組紐を使ってます。
以前は、金属製のチャームがついたストラップを使ったこともありましたが、昨年くらいから、すっかり「柔らかい素材」が好きになり、冬場は暖色系フェルト製のものを愛用してました。
秋の気配が濃くなってきたら、今の組紐を、またフェルトのものに取り替えるかもしれません^^




しかしですねー
わが夫のセレフィカさんときたら・・・!


彼は常時、ケータイを二つ持ってるんですが(個人用と会社用と)、まぁーその素っ気ないことったらっ。


まず、ストラップなんてものは、どちらのケータイにも付いてません。
あっても「邪魔になるだけ」なようで、たとえ付けてもすぐに「切れ」たり「壊れ」たりするんだな・・これが!


しかも、待ち受け画面は、買ったときの、そのまんま。
着信音も、そのまんま、いわゆる電話の電子音が鳴るだけ。
ヨメサンの私からだろうが、誰からだろうが、同じ電子音だすよー!


でも、なぜか目覚まし時計の設定だけはしてあって、毎朝うるさく「ジュピター」をダンス・ミュージック風に編曲したヤツ(私は個人的にクラシックのこういうアレンジは嫌いだっ!)と、これまた騒がしいカントリー・ミュージック(しかも御丁寧に「馬のいななき」効果音まで入ってる!)…が鳴ります。
なんで毎朝これなのか?…と、問うてみましたが、セレ氏曰く、「別にコダワリがあるわけではない。他の曲でもいいけど、変えるのが面倒臭いだけ」…とのこと。




そうなんです。
一事が万事、セレフィカさんという人は、そうなんですよ。
「自分の身のまわりのモノ」が「自分自身を反映かつ表現する」…などとは、夢にも思わない人なんです。




ところが私ときたら、「自分と一緒に歩いている人」すら「自分の反映」だと考えてしまうクチです。


ましてや「夫」ともなると、限りなく自分とイコールで結ばれてしまい、どうしてもそこに「私」を見たくて仕方なくなってきます。




私は、セレフィカさんのことが、結婚して年月を経た今でも、出会った頃と変わらず大好きです。
(イヒヒ、どうだい、のろけたぞ〜っ^^)



・・・でもでもですねぇ〜、彼と一緒に外出する時、いつも私の中に葛藤があるのは事実なんですよね〜


なぜって、彼の「見かけ」には、「私」は何も反映されていないように感じるからなんです・・・。
だからいちいち心の中で、「私はこの人と歩いているけれど、この人の外面に関しては、当方は一切関知しておりません! 関知したくてもできません! させてくれません! しかもこの外面には、彼の本来の美しさは何も反映されていません! その点よろしく!」・・・と、誰にともなく弁解を繰り返し、なんとかそうして自分自身を納得させて歩いているような具合です。




私が自分に無理矢理納得させなければならない「セレさんの見かけの悪さ」ときたら、数え上げればキリがありません。


まず、いつだって「髪ぼさぼさ」。
でも良く見たら、まさに今私がはまっている朝ドラ『純情きらり』で、あの素敵な西島秀俊さんが演じている「冬吾さん」と、ほとんど同一のヘアースタイルなんですが、あちらはあくまでTV局のヘアメイクさんがきちんとコダワリをもってスタイリングした「ぼさぼさ」でありましてー、セレさんのは、正真正銘ホンモノ、純正「ぼさぼさ」でありますっ!
この違いは大きい・・・


いつも彼が好んで着ている開襟シャツ。
これがまた私には気に入らないんだ・・・
なんとかならないかと思い、いろいろ見てくれの良いシャツを選び買ってきても、ハッと気がつくと、いつのまにか「いつものなんだかビンボー臭いシャツ」に戻ってるんですよね・・


「ねーねー、なんで、いっつもそのシャツを着ちゃうわけ?」と聞いても、「え? 別にコダワリはないよ。近くにあったから着ただけ」と答えるけれども、いやいや、だからそれがコダワリだっちゅーのっ!


しかも!
セレさんときたら、どんなことがあっても、シャツをズボンの中に入れなければ気がすまないんです。
私がはじめにぎゃーぎゃー言って、ズボンの外に出させて、それなりに格好よくしても、外出先でトイレから出てきたら、もう駄目。
まるで保育園児みたいに、きちんと、ズボンの中に入って、上からしっかりベルトしてます^^;
「ねーねー、ちょっと、それ出してくれない? そのシャツは、出して着るデザインだから、ズボンの中に入ってると、もー超ダサイんですけど!」…と言おうが、「いや、でも、シャツ出してるとお腹が冷えるんだよね〜」ということで却下・・。
あぁ〜もぉ〜なんで? 
「下にちゃんとTシャツも着てるでしょう? そのTシャツだけ入れて、上のシャツは出してよ!」
しかし・・
「そういう難しい着方はできないんだよね〜」
何がいったいどー難しいんだいっ!?


そして最近まで持っていた財布!
私にも我慢の限界がきたので、ついに無理矢理強硬に新しいものに変えてもらいましたが、いやー、よくもこれだけボロボロに朽ち果てるまで持ってたもんです。
支払いのたびにコレを出して、よく恥ずかしくなかったもんですよ・・
ま、恥ずかしい…なんて感覚がないから、ずーっと持ってこられたわけですが。


・・・と、これらはもう氷山の一角の一角みたいなもんで、セレフィカさんの「モノ」への無頓着さは、日々私を苦しめてるわけですね。
そして、そのことを訴えると、彼は決まって、「僕とゆうちゃんは別の人格なんだよ。何で、僕にゆうちゃんの価値観を押し付けるの? 僕がどんなにダサくても、それはゆうちゃんとは無関係でしょ? ほっといてよ。僕がこれまで、ゆうちゃんに対して、あーしろこーしろって持ち物や髪形を指示したことありますか?」・・・と、反論してくるわけで・・・




おそらくセレさんは、極端なことを言うと、自分が持っているもの、身のまわりに置いているものは勿論、自分自身の肉体さえ、自分を表現しているとは考えていないんですよね。


私にすればおよそ信じられない感覚なんですが、どうやらそのようなんです。


そして、私は、そうしたセレフィカさんのモノへの無頓着さを、心の奥底では、けっして否定してはいないんです。
否定しない…どころか、どこかで憧れてさえいます。




でもなぁ・・
こんな私たちは、いつかこの世を去って霊界にいったとき、またそこで一緒に暮らすことができるんだろうか・・と、心配になるんですよね。


モノに一切執着のないセレさんと、どんなモノにも自分自身を反映させなければ気がすまなくて、アクセサリーなどは当然のこと、バッグの中のペンケース一つ、食卓の箸置き一つ、吟味せずにはいられない私とでは、同じ階層の世界には住めないんじゃないかなぁ・・・
なんだかそれは、寂しいなぁ・・・
霊界みたいなところでこそ、セレフィカさんとはずっと一緒にいたいんだけれど・・・^^