「成功」って、何?


最近、「成功」って何なんだ?・・・と、いちいち引っかかって思うことが多くなりました。


書店に行って本棚を眺めれば、いわゆる「自己啓発」の本が並んでいて、やたらに「成功」を謳っています。 
ここでいう「成功」とは、もちろんお金持ちになること・・・なんでしょう、きっと。 いや、絶対にそれを目指してるわけですよね?


そろそろ季節柄、受験生はラストスパートをかけなければならないようですが、受験での「成功」はもちろん合格することで、「失敗」は不合格になることです。 
志望校に落ちてニコニコ「成功した! 幸せだ〜」なんて言ってる人がいたら、それは普通、冗談かヤケクソでしょう。


女性雑誌の永遠のテーマといえば「ダイエット」ですが、これは、「成功」とは「痩せる」ことで、「失敗」は「太る」ことと決まってます。 
「3ヶ月前は45㎏だったのが、なんと今は65㎏になって大成功!こんなにキレイになりました!」なんてコピーや比較写真があったら一度見てみたい気もしますが、そんなのは絶対にありません。


あと、30代半ばを過ぎて独身で子供がいない女性と、40歳を越えて独身の男性…というのも、どうやら人生に「成功していない」…ってことらしいです。 
いわゆる、「負け犬」ってやつですか?
(あ〜やだ、この言葉・・・)



・・・・・どうも、「成功」とは、その人の価値観の中での比較…なんですよね。
比較する対象は二つあって、それは「他人」と「過去の自分」です。
そして、「他人」を越えることよりは、「過去の自分」を超えた時の方が、「成功した!」という実感は強いんです。 
で、その瞬間は、本当に幸せで、嬉しくて、最高の気分がします。


しかし、ここからが注意の要る点です。


「過去の自分を越えた」と実感したその時から、なぜか人間は、急に他人が大きく目に入るようになり、やがて「他人を越えたい」という欲のほうが強まっていくようです。 
そして、この欲に突き動かされるうちに、なぜか本当の幸せからは遠いところに離れて行ってしまう・・・というパターンは、けっこう多く見かけるものではないでしょうか?
また、「過去の自分を越える」と言っても、それを越える為には何が必要なのかを見誤ると、結局、ただの幻影にしか過ぎないものを追い求めることになってしまいます。
たとえば、「自分は太っているから醜い」と考える女性がいたとして、「痩せればきっと美しくなって、幸せになるにちがいない!」と、奮起してダイエットしたとします。
努力の甲斐あって体重は減り、服のサイズも標準的なものがラクラク着れるようになり、周囲からも「痩せたね〜」と言われれば、その時は本当に幸せです。 
過去の自分を越えた喜びで、何もかもがバラ色に見えてきます。
でも、そんな感動は、よくもって2〜3週間です。
なぜなら、そのうちに「痩せている」だけでは満足できなくなってくるからです。 
太っていた時は、痩せれば全ての問題が解決して、別人のように美しくなるかのように思っていたけれど、いざ痩せてみれば、基本的な顔立ちがそう変わるわけではなく(肌の状態や骨格まで変わるわけではありませんから…)、同じように痩せたスタイルのほかの女性と見比べるうちに、段々自分で自分がもの足りなく思えてきて、ここでモチベーションを失えば、またもや体重がリバウンドすることにもなりかねません。 
ヤル気を失わない人は、今度は自分を更に「美しく」するために努力を始めますが、このアタリから、がぜん「他人」が視野に入ってきます。 
まぁ、それは悪いことではないし、ほとんどの女のコは、こうした道をたどってそのコなりに「きれい」になっていくわけですから、それでいいと思うんですけど、ただ、人生にはまだまだ先があります。




男女を問わず、「過去の自分」を越えることに心を砕いてきた人にとって、「老化」は、本当に恐ろしい敵です。
「過去の自分」の方が今より若くてキレイだった、「過去の自分」は物覚えが良かった、「過去の自分」には体力があった、「過去の自分」には地位や役職があった・・・という、この感覚。 
もう自分の過去は越えられない・・・という、この感覚。


かくして、かなり多くの人が、自分の肉体の老化を意識し始めると、「過去の自分」を越えることは諦めてしまいます。 
そして、「他人」と比べることでしか「成功」が実感できなくなっていくわけです。 これはなにも、現実に老化を意識した人ばかりではなく、「近い将来自分は確実に老化する」ということを日々考えている人も同じです。 
その想像する未来が、今の心をコントロールし、既に老化を意識している人と同じ思考をするようになります。
こうなると、やはり「お金持ち」であることは、強いですよね。 
「お金がある」という、その万能感、これは棄てがたいものでしょう。 
が同時に「もしお金が無くなったら?」という不安は、必ずついてまわるわけですが・・・


でも、こんな感覚が、もしまったく見当違いで、間違ったもの…だとしたらどうですか?


確かに肉体は、ある年令を超えれば「過去の自分」の方がずっと良かったと思えることが多いでしょう。
しかし、スピリチュアリズムでは、肉体を、この地上世界を生きるための「霊の乗り物」だと考えます。 いつでも新車に替えられるような乗り物ではなく、これ一台限り、壊れてしまえばもうこの世に別れを告げ、あの世に帰らなければなりません。
そうであれば大切に扱うに越したことはありません。 
なにしろ私たちは、この世に生きる必要があって来ているわけです。
でも、乗り物は、所詮、乗り物です。 
中に乗っている、永遠に進化を求め、永遠に存続する「たましい」に比べたら、どちらが重要であるかは言うまでもないでしょう。


どうも私たち人間は、「成功したい」と言うとき、自分のたましいにとっての「成功」ではなく、乗り物、つまり肉体が悦ぶような「成功」ばかりを追い求めてはいないでしょうか?


これこそが「手ごたえのある成功」と思っていたものが、実は幻影でしかなく、「そんなものは夢物語、理想に過ぎない」と軽んじていたものが、本当はどこまでも存在する現実だったとしたら?



       (文責:ゆう)