非社交的で偏屈な私
「実は」・・・などと接頭語をつけたのは、多分実生活の中でほとんどの人は、私を「社交的」だと思っているだろう、と、勝手に想像するからです。
もしかすると、何人かの人は、私の奥深い「社交嫌い」に気がついているかも知れませんが、これでもかなりの努力をして「社交的」にやっているつもりなので、そう簡単には見破れないだろ〜という、ふてぶてしい自信があったりします。
ま、つまらん自信ですが・・・
では、私はどう「非社交的」なのか・・・という実際面白くもない話題を、今日は展開してみたいと思います。
心の広い人は、お付き合い下さい(^^;)
私は、職場では、思いっきり「明るくて親切な人」だと思われてます。
事実、職場の誰もが、そう言いますし、確かに私は「明るく、親切に」仕事をしてるんです。
でも私は、職場の同僚には、極力プライベートなことを話しません。
プライベートなこと・・・とは何かと言うと、要するに「家庭の話」です。
親の話とか、夫の話とか、子供の話・・・です。
こういうのを聞きたがる人はいますが、私はほとんど話しません。
もちろんハッキリと断ったりするのは角が立ちますから、適当にやんわり、さらっと話を逸らしたり、当たり障りのない内容を、相手の気が済む程度に話します。
そして、そうした話がしたい人の、そういう話は、一所懸命に相槌を打ちながら聞いてます。
聞く分には、別に苦痛でもなんでもないので・・・
同僚の中には、ほとんど毎週のように一緒に飲みに行き、互いの家の間取りまで詳細に把握し合っている一群がいますが、こうした人々というのは、私には本当に理解できないです。
よく疲れないなぁ・・・と思いますし、事実私は、仕事が終われば一秒でも早く自分だけの世界が欲しいクチなので、そうした貴重な時間を、わざわざまた職場の人間と過ごそうとは思わないのです。
(ただし、そうする必要があるときは、「これは仕事の一環だ」と覚悟を決めてかかります。 そして、できるだけ「話したい人の話」をニコニコ聞いて、帰って来ます。)
逆に、プライベートな付き合いの空間では、それが反転します。
例えば、子供の学校の保護者同士の付き合いや、自分の趣味仲間との付き合い・・・などがそれです。
こうした関わりの中で、私がもっとも苦手に感じることは、「仕事」の話をされることです。
どういう仕事なのか、どういう役職なのか、仕事上で付き合う人のこと、収入はどうか、などなどなど、なんでこんな話をしなきゃいけないのよ?…と、思います。
私の仕事が何だろうが、関係ないだろ〜と思います。
・・・かといって、はっきりイヤな顔をしたりはしませんよ!
でも、心の中で、そういう話題を好む人を疎ましく思い、できるだけ避けようとはしてしまいます。
私は、夫のセレフィカさんが主催している、「シルバーバーチ読書会」にも、一度も参加したことがありません。
なぜなら、このネット上で表現している自分以上のものを、出したくないからです。
あと、実際に会った時点から発生する、三次元的人間関係を嫌うからです。
つまり、私はスピリチュアリズムを、この世ではネット上でのみ語っているわけですが、これは私の最も心の核心に触れる最重要な部分です。
その上に、現実の自分まで晒してしまったら、私は何を隠せばいいのでしょうか?
どこに逃げ込めばいいのでしょうか?
・・・そう、私は、相当に偏屈な人間です。
そして、とても臆病なんです。
他人に自分をまるまる知られることが、恐怖なんです。
ある一面だけしか、提示したくないのです。
全てを見られたくはないのです。
セレフィカさんは、私にとっては、たぶん唯一、私の全てを提示している人です。
それが「怖さ」を伴わずにできる人だから、結婚できましたし、長く続いているんだと思います。
この事実は、私にとっては、まったく奇跡みたいなものです。
でも・・・・・・霊界に行ったら、こんなワガママはきかないんでしょうね・・・
何一つ隠せないのが、霊界なんですものね・・・
霊界って、私のような人間には、なかなか辛いものがあるなぁ・・・と、ちょっと思ってしまいます。
・・・ダメですね〜ホント。
(文責:ゆう)