お久しぶりです・・・ゆうです(^^)




もう相当に長くここに御無沙汰してしまいました。
突然書き込みを休止してしまいましたので、多くの方から御心配を頂きましたが、本当に申し訳ありませんでした。そして、お気遣いを、ありがとうございました。


ここ半年近く、とにかく子育てが大変でした。
学校の担任が、うちの子供をまったく理解してくれず、そればかりか、うちの子が慕ってやまない情緒障害児学級の先生にまで反目するようになってしまい、そうした中から発生する様々なトラブルに対応するだけで、精神的にも体力的にも多大なエネルギーを消耗していました。
また、ブログの更新をする自由な時間さえ捻出できなかったんです・・・


そんなわけで、ネット上の様々な活動は、すべてセレフィカさんにお任せだぁ〜ということにして、私は、いろんな不義理もかえりみず、ここからドロンしちゃってたわけです。
はい・・・(~~;)



で・・・


なぜ今日、久々にノコノコここに出てきたかと言いますと、急に書きたいことが湧き上がってきたからです!


何を書きたくなったのか?


それは、「心の道場」さんのニューズレター最新号への文句タラタラ・・・ですっ!


最初に言っておきますが、うちのセレフィカさんは、「心の道場」さんの大サポーターです。
今度の最新号も、それは感銘を受けたそうですし、今朝も、私が「確かに『心の道場』さんの主張は正しいのかもしれない。でも、私は、あの人たちはキライ。絶対に友達にはしたくないタイプ。」と言ったところ、しみじみ悲しそうな目をして、「ボクは、心から尊敬してるんだけどなぁ〜」・・と。


そりゃ、私だって「尊敬」は、してます。
あそこから発刊された本の数々には、大きく深い感謝を捧げています。


でも、それとこれとは違うのよ・・・
尊敬はしてるけど、あんまり好きな人たちじゃないのよ。。。私は。。。


では、なぜ「好きではない」・・・むしろ「キライに近い」のか?
はい、そうですね、その理由を説明すべきですよね・・・


でも、好きとキライほど、説明の難しい感情もないではありませんか?
これはやはり、「気」の問題なのかもしれません。
「気」が合うか、合わないか・・・それは結局、霊格の違い・・・ってことになるんでしょうかね〜? うぅぅん・・・どうなんだ?


一つ理由を書くならば、私は、『心の道場』さんのニューズレター全体に流れる、「出る杭は打つ」といった空気が好きではありません。
今回も、「火がついたように燃え上がる人たち」と題して、

シルバーバーチの霊訓と出会って感激した人達の中には、突如、火がついたように燃え上がり、ホームページを開設したり、読書会を始める人もいます。あちらこちらの知人にと、手当たりしだいにシルバーバーチの霊訓を配り始める人もいます。なかには「イギリスに行ってスピリチュアリズム・チャーチを見てきたいのですが、紹介していただけませんか」といった手紙を送ってくる人もいます。 そうした方々に対して私達は、その純粋さと熱意は理解できるものの、「ちょっと待ってください」と言わなければなりません。」(ニューズレター30号より抜粋)



という一文があります。


・・・が、正直、どうしてそんなことまで言うのかなぁ・・・と思えてなりません。
行動を起こしたい人は起こしたいんですよ!
その時、どうしても動きたいんですよ!
そういう時は、動いてみたって良いじゃないですか?
動いて見なきゃ学べないことも多いでしょう?


それを、どうして冷や水をパシャッと浴びせかけるかのように、

「情熱に駆られてすぐに行動しないように」(ニューズレター30号より)

などと書くのでしょう。
いいじゃないですか、情熱に駆られたって!
そういう時も、人によっては必要なのではありませんか?
始めから小さくまとまって、デコボコ難点のない優等生のスピリチュアリストを目指して、何か益でもあるんですか?


私は、人間の成長は、バランスを崩しながら成されるものだと思ってるんです。
ある部分が飛び出て(ほとんどの場合、それは「情熱に駆られて」なされます)、その飛び出た部分に他の部分が追いつこうとして挫折や失敗を繰り返し、次第に経験を積んでいく・・・それこそが「成長」なのだと思ってます。
もし、大きく飛び出てバランスを崩すことがなかったら、そうした「成長」は望めないのではないでしょうか?


みなさんは、どう思われますか?