「死」が怖いですか?(4)


死とは「何も感じないし、思わなくなる」ことだと父が言った時に、それなら「地獄」があった方がまだマシだと、私はぼんやり思いました。


私にとっては、今ここにこうしている自分が、まったく無くなってしまうことの方が、ずっと恐怖でした。
「地獄」で苦しみを受けるとしても、苦しみがあるだけ、全くの「無」になるよりは、ずっと救いがあります。
「無」とは、なんという退屈でしょうか。
いや、「無」だから、退屈することもできないわけです。


もちろん、その時の私は幼稚園児でしたから、こんな考えをはっきりと意識して思ったわけではありません。
しっかり意識して考えるようになったのは、思春期以降のことです。




高校生の頃、ここにこうして在る自分がいっさい消滅して無になることが「死」ならば、自分がこの世に生きていたことの証を残せばいいのではないか・・・と考えました。
できるだけ多く世の中に生きた証しが残せる人間になりたい・・・などと思いました。
でも、その思いはたいてい空回りのまま、何も出来ない自分に焦ったり、希望を失いかけたりしながら、時は流れました。


結婚して子供を産んだ時に、一瞬ですが、「これで生きた証しが残せた」と思いました。
しかし、その子供にしても肉体を持った人間です。
肉体がある以上、その肉体には「死」という終わりがあります。
子供もまた、私と同じ立場なのです。




なんだかそうして考えていくと、いつもいつも自分の前には「死」という底なしの「無」が広がりました。


「生きているときしか、楽しいことはないんだ。だから、生きている間に、好きなことをして、精一杯自己実現しよう!」と思うものの、でも、その先に「無」が待ち受けていると思うと、その「生きているうちに楽しくやろう!」の輝きも一気に色あせるというか、しらけるというか・・・


そんな毎日を送るある日、知人がある本を薦めてくれました。



(明日につづく)
      文責:ゆう