言葉遣い

自慢してるみたいですが、(・・・って、実際いくらか自慢なんですが^^;;)、私は「言葉」にはけっこう強いのであります!


なにしろ、標準語と関西弁が、完璧に話せます☆
しかも、標準語は、山の手言葉(これは仕事上必須なのだ)から、下町言葉、およびギャル言葉まで、そこそこ操れるしぃ〜、関西弁は、阪神間あたりの上品なものから、浜の神戸弁まで、自由自在でありんす♪
ついでにイヤらしくアッピールすると、英語はわが第二言語です。
加えて仏語と伊語も、日常会話くらいならぎりぎりOKです。
これらの能力は、生育環境によるところが多いので、努力による部分は少ないかもしれませんが、まぁ結果として、私は使える言語の幅だけは広いのです。


さて、そんな私が思うに(・・・って、なんだか鼻持ちならん感じですが)、「言葉遣いが良い」というのは、何も「常に丁寧な話し方をする」ということではない!・・ということなんです。


言葉というのは、その場に適った使われ方をしてこそ「良い」・・のではないかと、常々思っています。
おそらくこれは、いろんな場所を転々と移りながら育ったため、私の身にしみて定着している実感です。




例えば、ラテン語系の言語は、丁寧語とカジュアル語では文法が違います。
よく履修者は、丁寧語の活用さえ覚えておけば何とかなる・・・と思うようですが、そんな甘いものではありません。
確かに旅行や出張に行く程度ならそれでいいかもしれませんが、実際に住んで人と関わるとなると、丁寧語だけの文法知識では、人付き合いに支障をきたすようになります。
その場や相手に応じて使い分けないと、結局自然なコミュニケーションが取れなくなるからです。


日本国内でなら、私は関西では関西弁で話します。
まぁ、私のデフォルト言語は関西弁ですし・・w
でも、東京では、誰に対しても関西弁を使っていません。
夫のセレさんは関東人ですし、子供は東京生まれの東京育ち。
でも、実家の母が上京すれば、この母とは関西弁で話します。


職場は、非常に丁寧な言葉が一部の人に対しては要求されるので、彼らには最上級の言葉遣いでのぞんでいますが、必要がない場では、そうした方に対しても、やや砕けた話し方をすることもあります。その方が、雰囲気がよくなることもあれば、気持ちが伝わることもあるので。
とはいえ、職場には、どんな時でも丁寧語を崩さない人もいます。
こういうタイプの人って、誤解をおそれずに言えば、実は出自のそう高くない人に多いんですよね・・・
(うぅぅ〜ん、凄く誤解を受けそう。。。 でも、ホント、そうなんだもん。いわゆる「上流家庭」出身者は、実はあんまり気取ったりしないし、丁寧語にやたら拘ったりしないものなんです。イザとなったら使える自信があるからか、普段はいたってざっくばらんな会話をする人ばかりのような気がします。ところが、そういった出自にコンプレックスがあって、自分を上品に見せたいという欲が働く人は、とにかくいつでもどこでも誰に対しても、丁寧語を死守するんですよね・・・。これ、本当ですよ。だからかえって下品に見える。・・・ま、それと、スピリチュアリズムで言うところの「霊性」の高低は関係ありませんけど^^;;)




・・・・と、うだうだ書きましたが、要するに私が何を言いたいかというと、「言葉遣い」と、その人の「品格」や、ましてや「霊性」には、関係性はない・・ってことなんです!


ですから・・・・よく「言葉遣い」が悪いから云々と、掲示板などでおっしゃる方がいらっしゃいますが、「それがどーした?」と感じずにはいられないわけ・・・デス。
あなたがこだわっているモノの、その正体はなんですか?・・と、問わずにはいられないわけ。
自分の「霊性」を高めたいとか、高く見られたいとか、そういう欲を、「丁寧な言葉遣い」に転化して語ってないですか?・・と、勘ぐりたくなるわけ・・。


まぁ、確かに・・・ことさら乱暴な言葉を、ワザワザそればっかり使うというのも、また逆の頭の固さなり、幼稚さなりを感じますが、だからといって、それはイコール「レイセイノヒクサ」ではないということは、はっきり言っておきたいと思います。「アタマトソダチノワルサ」ではあるかもしれないけれど・・・。


言葉なんて、まぁ所詮、その程度のものなんですよね。