乗り越えられないのよ


有希さんの裏掲示板で、私は、下記のように言及されています。

「思うことーゆうのゲリラ攻撃炸裂の巻」見ました。普通の「スピリチュアリスト」を豪語しているけれど、自分が思っている路線をただひたすら黙々とすればいいことであって他の者がしている事に何故ああも感情むき出しになるのか・・・大衆の賛同を得たいと言う心理が働くとしか思えません。まるで躾けの悪い犬がやたらと噛み付いているようなものだと思うしかないですね。
([156] 2005年10月27日 ムクさんの投稿より抜粋)

> ペ氏も、ゆう氏も共通点があって子供が障害をもっていることが何かの発端になっている・・・これって偏見かな?

いいえ、偏見ではなく、事実だと思いますよ。
同病相哀れむ、ではありませんが、誰でも親にとっては子供は大切な存在です。
ましてや子供が難病だとなると、子供への思いは更に強くなるのでしょう。
そこが乗り越えどころだと思うのですが、まだその心境まで至っていないのだと思います。
([157] 2005年10月27日 有希さんの投稿より抜粋)


これに対して、私は、これまで一度も正面切っての抗議はしませんでした。


なぜなら、確かに、その通りだからです。


私は、「大衆の賛同を得たい」と思っているのかもしれません。


私は、事実、「躾の悪い犬」のような、アホな奴かもしれません。


そして、確かに私たち夫婦には、発達障害の子供がいます。
この子の現在や将来を考えると、どうしても取り越し苦労ばかりが先にたちます。
他所様から理解のない視線を受けることも、度々あります。
ですから、私は日々、苦しんでいます。
「そこが乗り越えどころ」だとは思いはしても、そうは簡単にいかないのです。
おそらく、一生かかっても、有希さんがおっしゃるような心境に至れる自信はありません。




当初、この投稿文に接した時、実は、私はあまり傷つきませんでした。


おそらく、こんなことで傷ついてたまるかという、無意識の防衛によったのだと思います。


しかし、日に日に「毒が回る」感じで、棘は胸に突き刺ささったまま抜けません。



・・・でもね、その痛みは、まぁ、いいのです。
私も、遠慮なく言いたい放題やってますし、有希さんやムクさんに対しては、各地でいろいろ嫌みな意見を吐いてますから、一方的に自分を被害者だなどとは思っていません。


ただ、一応、一度くらいは、彼女達の発言に対する私の感想を、このブログに書いておこうと思いました。




子供を持つ親は、誰だって、その子の将来が心配です。
しかし、その子に障害がある場合、その心配は、何倍にもふくれあがります。
「明日のことを思い煩うのはよそう」
と、どんなに自分に言い聞かせ、前向きに日々過ごす努力をしていても、それでも、心配が消えることはありません。
普通に考えれば、親は、子供よりも先に他界します。
そうした後、この子は、どうやって、この世間を生きていくのだろう・・・と考えると、それが所詮は予測不可能な未来への取り越し苦労だとは分かっていても、それでも尚、不安で、不憫でならなくなります。


こうした思いを、いったいどうやって乗り越えればいいのでしょうか?


「乗り越えどころ」・・・と、言うのは簡単です。


でも、できないんですよ。
乗り越えようとしても、どんなに努力しても、毎日毎日坂を登り続けても、できないんです。
それが、今の私の現実です。
おそらくこの現実の苦しみや不安は、一生乗り越えられないし、従って高い心境とやらになど到底至れないかもしれません。
でも、私は、そうした駄目な自分とずっと向き合うだけの覚悟は決めているつもりです。


それに、駄目な自分を、乗り越える必要もないような気もするし・・・(^^;)
無理をすると、あとでバタっときますしね。


ですから、今「検証板」では、今回の有希さんの掲示板をめぐる事件の考察がいろいろなされて、彼女への質問もまとめられていますが、私は、ただこの一言を、有希さんには言いたいです。


「別に、駄目な自分で、よくないですか?」・・・と。
「そこから、どうか逃げないで」・・・と。