美意識


セレフィカさんは、よく、私の言っていることが「難しすぎて分からない」と言います。
私は何も、そうフクザツでヒトリヨガリなことを言っているつもりはないのですが、例えば14日に書いた『神に感謝することがあるとすれば・・・』などは、彼に言わせると、「何を言いたいんだか、さっぱり分からないよ。これ、どーゆー意味? ゴミが美しいってこと?」・・・という意味不明箇所満載の文・・・だそうです。


ふむ・・・そうですか・・・。


まぁ、いいです。
セレさんは、実は以前から、私の言ってることの半分も「わからない」人なんです。
私も、彼の「常識」の多くを「非常識」だと思ってますし、ましてや仕事で扱っている数字や記号のだらだら並んだものなど、ぜーんぜん理解できません。
簡単に分類すれば、私が「超文系人間」で、彼が「超理系人間」だからでしょうが、よくもまあこれだけ属性の違う二人が、恋愛したり結婚したりしたもんだと、そっちの方が我ながら驚きです。
しかも私たちは、「シルバーバーチ」の霊訓に、共に深く感動し、今や固く「霊界」を信じ、「スピリチュアリズムをもっともっと広めたい」とすら思っているわけで、よく考えてみれば、不思議としか言いようがありません。




でも、同じようにシルバーバーチ・ファンであっても、私たちの考え方は、随分違います。


セレさんは、ボランティアが大好きです。
また彼には、そういう「サービス」が似合ってもいます。
「これは偽善か?・・・と考えるくらいなら、考えてる間に人を助けた方がいい」というのは、彼の持論ですし、私もそれには大いに賛同します。


でも私は、いわゆる「ボランティア活動」には、実はあまり興味がありません。
基本的に、面倒臭がりで、人付き合いの幅をできるだけ広げたくない偏屈人間なので、そういう活動をしに「わざわざ」出かけるのが億劫なんです。
勿論、中高生の頃から「ボランティア活動」は、いくつもやったことがあります。
たぶん世間一般の人よりも、多めに経験があるんじゃないでしょうか。
でもいつも、似合わない服を着ているような違和感があって、私には向いていないな・・・と、感じていました。
まぁ、募金くらいはしますけど、それだって、いつも・・・というわけじゃない。
募金箱を持ってる人がいても、平気で無視することもあります。


そんな風に考えると、私って、ずいぶんと「霊性」が低いんですよね〜(^^;)
セレさんとは、雲泥の差だなぁ〜〜きっと死んでも、同じ霊界には行けないよー・・・などと、よく冗談でも言ってます。




ただ、これは言い訳かもしれませんが、はっきりと「人助け」とわかる行為だけが「人助け」ではないですよね。
一見、誰の役にも立っていなそうなものも、そこに存在していることで、誰かを助けていることはあるわけで、私は、それら日常のあらゆるものの営みの中に、自然と自分を溶け込ませたい・・・・んです。
そういうあり方の方が、こう「美意識」にピタッとくるし、自分に似合っているように思えます。


スピリチュアリストって言っても、千差万別ですよね。
自分に似合ったように生きればいいんじゃないでしょうか? 違うかなぁ・・・。




私にとって、「美意識」は、限りなくイコール「良心」です。
それが「美しいか」「美しくないか」は、私には、とても重要なんです。
だから、「美しくない」と思えるようなことは、それが、どんなに崇高な目的を掲げた活動であっても、関わる気になれません。
これは、私の心の根強いクセなんでしょう。


セレさんには、まず、それが分からないようです。
私が言っている「美しさ」の意味も、どうやら分からないみたいですし、そもそも彼は、「美意識」で動く人間がいることが存在することも分からないんです。


でも、それはそれでいいんです(^^)
私にとっては、セレさんは、ちゃんと「美しい」人だし、私のような考え方はダメだと非難する人がいたとしても、そういう人は、私にとっては「美しくない」から気にならないし・・・。







最後に、なんの関係もありませんが、最近私は、寺山修二が何度目かのマイ・ブームです♪

   「マッチ擦るつかの間海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」

   「海を知らぬ少女の前に麦藁帽の 我は両手を広げていたり」

・・・という、有名な短歌もそうですが、なんとゆーか、彼の全てが気になるんです(^^;)