祖母のこと


祖母のことも書きます。


母方の祖母は、娘であるわが母とは、まったく似たところのない人でした。
母に言わせると、祖母と私は気質が「そっくり」だそうですが・・・


母には兄がいました。
祖母は、この息子を溺愛していました。
なぜなら、彼は「大切な家の跡取り」であり、しかも大変な「秀才」だったからです。


祖父には妾宅があり、同年代の息子が3人もいました。
しかし、本宅の長男である母の兄、私からみて伯父の優位は歴然で、それが祖母には嬉しくて愛しくてならなかったようです。
祖母にとって、まさに伯父は、特別な存在でした。
が、妹の母は、自分はまったく省みられることのない子供なのだ・・・お嫁に行ってしまえばそれでいい女の子なんだ・・・という思いを強める一方だったようです。


母は、「美人」なことでは近所でも有名だったので、お見合いの話は「星が降るほど」ありました。
その中で、結局伯父と同窓、同職でもある父と結婚したのが、23歳のときです。


さて、そこで登場するのが、父方の祖母です。


父方の祖母は、これがもう自分を美しく飾ることが最大の楽しみであるような人でした。
若い頃の写真など、まるで竹下夢路の美人画のようです。
髪を自分で洗ったことなど一度もなく、毎日美容院で結ってもらう時に洗ってもらうのが「あたりまえ」で人生を送った人でした。


母方の祖母と、父方の祖母は、女学校が同窓・同学年でしたが、母方の祖母よりも父方の祖母は、10歳以上は確実に若く見えました。
着道楽で、着物をあつらえるのが大好きで、人が着ている物に対してあーだこーだ批判を言うのも好きな人でした。
ですから、たまに母方の祖母が尋ねてくると、帰ったあとで必ず、「もっときれいにしはったらいいのに」とか「帯の趣味が悪い」だのとワルクチを言うのも常で、それを聞くのが私は子供心にイヤでなりませんでした。
ましてや母は、どんなに不愉快だったでしょうか。


この姑と母の関係は、最悪でした。
母屋に祖父母、離れに私たち一家が住む、というカタチの同居でしたが、それは息の詰まるものでした。


長年「美人」と賞賛されてきた祖母は、同じように「美人」と誉めそやされてきた母を、ことあるごとに虐めていました。
それは、父の海外赴任が決まる、私が6歳になるまで、毎日繰り返されていました。
父は、まったくよくいるそこら辺の息子同様、きれいなお母さんが大いに自慢の「マザコン男」でしたが、きれいな奥さんも満更ではないようなところがあって、そういったどっちつかずの態度が、結局嫁姑の関係を一層複雑にしていました。


ところが、この嫁姑が、一致して仲良くなる瞬間がありました。
それは、私のことを、二人そろって「なんでこの子は、こんなブサイクになったのかしら」と言いあっている時だったんですから、今思えば、私は少しは彼女達の不仲解消の役に立っていたんだな・・と、変な満足感すらあります(^^;)




さて・・母方の祖母が愛してやまなかった伯父は、私が大学に入学した年に病気で亡くなりました。


この伯父は、私が唯一、親戚の中で、じっくり話のできる人でした。
伯父もまた、実子以上に私を可愛がってくれていた気がします。
(実子である従弟は、伯父に猛反発して非行に走り、伯父を悩ましていました。現在は、もう立派に普通の大人になっていますが・・^^)
この伯父の死は、祖母に大打撃を与えましたが、私にとっても深い喪失でした。
私は今でも、あの伯父を思い出すと、胸が熱くなり、涙がこぼれます。
ましてや祖母の苦しさ、辛さは、どんなだったでしょうか。


伯父の死後、母が代わって、実家の面倒を見ることが多々ありましたが、それでも、祖母にとっては、伯父こそが永遠の存在だったようです。
母はよく、「私がどんなにお母さんのことを考えても、あの人には、ちっともありがたくなんかないのよ。あの人は、いつまでたっても長男一筋だから」・・・とブツブツこぼしていましたが、思えば母も、祖母から自分が認められない辛さに、日々耐えねばならなかったのかもしれません。




父方の祖母は、大変けっこうな暮らしを晩年まで続け、最後は病院で、医者や看護婦さん達に可能な限り尊大に振る舞い、母に気を遣わせまくった末に、堂々と亡くなりました。
そして、母方の祖母は、あの阪神大震災で、あまりにも突然、亡くなりました。


正直なところ、私は、父方の祖母は、嫌いでした。
あの人のことは、「姿のきれいな人」としか思ったことがありませんでした。
今思い出しても、申し訳ないけれど、なんら感慨がわいてきません。


しかし、母方の祖母は、大好きでした。
確かに非常に痩せていて、身を構うこともなく、父方の祖母のような姿の美しさはなかったけれど、たまに会うと、心が癒されてホッとする人でした。
一度、母のことを、「あの子は、早くに結婚して他所の家にいったからかもしれないけれど、どうもよく分からないところがある子でね・・」と、ポロッと私に言ったことがありましたが、その時私は、「そうか、母親でも理解できないところがあるんだから、娘の私が分からなくても別にいいんだな」などと思ったものです。