自信喪失など


「母のこと、祖母のこと」続編(^^;)




母や祖母から、「なんでこんなにブサイクに」と言われて育った私は、13〜14歳の頃には、もはや「本物のブサイク」になってました。
なぜなら、24時間、表情が「ぶすーーーっ」で固まっていたからです!


当時の写真を見ると、笑った表情で写っているものなど皆無で、どれもこれも、「なんか文句ある?」という目つきでレンズを睨んでいます。
年賀状用に家族写真を写真館で撮ったときも、あまりに私の顔つきが「険悪」なので、ついに母はキレてしまい、「そんな顔しかできないんだったら、もうあなた無しの写真でいいわっ」と言い放ち、父が「まぁええやないか・・」と取り持ってなんとか治まるありさまでした。
それにひきかえ妹は、ミス・フォトジェニックにしてもいいようなカメラ目線と最強の笑顔の持ち主で、その年賀状を送った数人から「女優さんのようなお嬢さんで」などと言われてましたっけ。
従弟など、同じ写真中の私のことは「クロマニヨン人が振袖着てる」・・・などと評してくれましたけど(笑)


ところが、父は、一度として私を「ブサイク」とは言いませんでした。
ま、そうでしょうとも。
私は、父にそっくりだったんですから。


でも、これは忘れもしません。
父方の祖父母の金婚式で、親戚の何人かが、私に向かって、「ゆうちゃんは、ほんとに、お父さんそっくりねー」と言ったとき、抑えようのない感情が溢れてきて、オメデタイ席上だというのに、ポロポロ涙がこぼれて止められなくなり、皆を大慌てさせました。
「なんで泣いてるの?」と聞かれても、首を振って泣くばかりでしたが、あまりにしつこく母が「泣いてる理由を言いなさいっ!」と問い詰めたので、「だ、だって・・・お父さんに、そ、そっくり・・って言われたから・・」と返答・・・。
すると親戚の人々は、声をあわせて、「女の子は、お父さんに似てるほうが幸せになるのよ」だの、「なにがあかんの? おとうさん、ハンサムやないのー」だの、フォローに必死でしたね。
今から思えば一番可哀想だったのは父で、帰りにエレベーターに二人で乗ったときに、「おとうさんに似せて、悪かったなー」と言っていたことを思い出しては、今さらながら心の中で「おとうさん、ごめんなさい」・・・と謝っている私です。




母の兄である伯父も、いつも私の味方でした。
「ゆうは、ブサイクちゃうで。べっぴんさんや。」と、何かにつけて言ってくれました。
それに伯父は、私の「良さ」を分かってくれる人で、いかにも私が夢中になりそうな本を探して買ってくる天才でした。
それに、なんと高校生の私に「麻雀」を教えてくれたのも伯父です!


伯父の家では、休日になると、よく人が集まって麻雀大会をやっていましたが、そこに私をたまに参加させてくれた上、「どうやったら強くなれるか」も随分教えてくれました。
私は、麻雀のようなゲームとは相性がよく、伯父からも「ゆうは、ほんまに上手くなったなー」と誉められるまで上達し、仲間のオジサンたちにも大人気でした♪
母は、かなりニガイ顔をしていましたが・・・。




この伯父が、私が大学に入学した年に病死してしまったことは、周囲の想像以上に私にとっては大きな喪失でした。
しかも、慣れない東京での生活のはじまり・・・。


「少しはお洒落くらいしなさい」と母が口酸っぱく言ったこともあり、私は、長年愛用してきた分厚い眼鏡を捨て、コンタクトレンズに替えました。
更に、原宿の有名な美容院にも行き、それなりの髪型にもしました。


すると・・・・
なんと・・・・
私は、突然、モテはじめたのです!


これまでは、「べっぴんさんやー」と言ってくれるのは、亡くなった伯父だけだったというのに、眼鏡をコンタクトレンズにして、髪型をちょこっと変え、なんとなく「愛想笑い」をマスターしただけで、周囲の男子学生から、非常にチヤホヤされるようになりました。
これは、私にとっては、ほとんど革命的なできごとでした。




学生時代、私は、あまり勉強をしませんでした。
特に1、2年生の頃は、気がふれたように遊びまわっていました。
「彼氏」は、いまや顔を思い出せない人がいるくらい、コロコロ変わりました。
その度に、私はかなり傷ついて、「死にたい」などと呟いていましたが、その傷は、新しく恋愛を見つけることで、なんとか癒せるような気がしていました。


「付き合っている人」と上手くいかなくなってくると、私は必ず「それは自分がブサイクだからに違いない」と思い込みました。
今考えてみれば、それは違うのです。
私の中にある「暗黒面」・・・というか、非常に屈折した部分に、同年代の男の子がついてこれなくなっていただけなんですが、当時の私は、「これは絶対に自分がブサイクだからだ! そうに違いない!」・・・と思い込んでいました。
そして、まるで実家の母に憑依でもされたかのように、自分を綺麗にすることに必死になりました。


反面、そうした行動に走っている自分を、激しく嫌悪しました。
「サイテーだわ。私、本当に、サイテーだわ。」と、心から思っていましたが、でも、そんな最悪の自分を止めることができないんです。
「綺麗だ」とか「かわいい」と言って近づいてくる男性がいれば、結局はその人を利用して、なんとか自分を満足させようとしていました。
まともな男性なら、相手の女性のそうした傾向にはすぐ気がつきますから、付き合いはそう長くは続きません。
するとまた、私は深く自信喪失し、「やっぱり私は、駄目な人間なのかもしれない」「誰からも愛されない人間なのかもしれない」・・・と思うようになってきていました。


そうこうして大学院にも進み、最初に同じ研究室の人々と教授を交えて食事会をしたときに、たまたま隣りに座った教授(当時60歳・男性)が、おひらき直前になって、私にこう言ったのです。
「ゆうさん、あなた、自分を安売りしちゃだめだよ。」
この教授とは、学部の2年生の頃から旧知の間柄だったのですが、こんなことを言われたのは、このときが初めてでした。
私は、相当びっくりして、「え? 私・・・自分を安売りしてますか?」と聞き返しました。
すると教授は、「うん。すごく安売りしてる。もう少し、自分自身の価値を分かったほうがいいね。」と言いました。



私は、今も、この教授の言葉には感謝しています。
あのとき私は、ものすごく久しぶりに、「愛情」を注がれた気がしました。
まるで亡くなった伯父が、教授の口を借りて語ってきたような気さえしたのです。


それから、まぁいろいろありはしましたが、私は、もう一度自分の本来の姿に立ち返ろうと、心を定められるようになりました。


他人から「美人」と思われようが、「ブサイク」と思われようがいいじゃない。
他人がどう思おうが、私は変わらないんだから、私は、私のままで生きよう・・・・と、いうことです。


まったく、こうして書けば実にくだらない悩みですが、このバカバカしい苦悩に長年呪縛され、一時期は、生活すら破綻させかかってました。
そのことに気がついたとき、今度は、私をそこまでコントロールして苦しめた母や祖母への憎悪が激しく湧き上がり、それを乗り越えることは、更に大変でした。
今も、まだまだ難しい部分を残したままですから、全面解決には至っていません(^^;)
まだまだ悩みなさい・・ってことなんでしょうか?




最後に・・・


セレ氏は、私のことを「美人」だと思ってるんですよねー。
まるでカルト教団に一週間くらい缶詰にされ、洗脳ビデオで「ゆうは美人だ・・・ゆうは美人だ・・」と刷り込まれたかのような・・・・。
たとえ私がどんなに髪ぼーぼーでヨダレ垂らしてたとしても、彼は、「ゆうちゃんは美人」と言ってくれます。(ほんとにほんとの実話だからコワイ)
理性による検証はどうしたっ!?


ん・・・・でも、ありがたい人だわぁ・・・・・。
感謝しなきゃ。