今の私


「母のこと、祖母のこと」「自信喪失など」の最終話。




どうも私の母は、私に何を言っても、傷つけていない・・・傷つくはずがない・・・と思っていたフシがあります。
なぜならそれは、私が「勉強は出来る子」だったからです。


母には、秀才の名を欲しいままにした兄がいました。(私の大好きだった伯父です)
祖母は、伯父を誇りにし、溺愛していました。
ところが、あまり勉学は好きではなく、よって当然のことながら学校の成績が芳しくなかった母は、いつも伯父と比べられ、劣等感を持っていたようです。


まだ中学か高校生の頃、伯父は母に家で勉強を教えてくれていたそうですが、母が語るところでは、「すぐに『なんでこれがわからへんの?』とか『これは前に教えたやろ?』と叱られて怖かったわ」・・・といった調子だったようで、あまり良い思い出はなさそうでした。
私も伯父からは「麻雀」の特訓wを受けましたが、「叱られた」覚えは一度もなく、むしろ「ゆうはスジがええ!」と誉められることの方が断然多かったので、これは、伯父も歳を取って気が長くなっていたのもありますが、やはり人と人の相性の良し悪しだったのかな・・という気がします。


それはともかく、どうも母にとっては、学校の成績で優位に立つ人間は、イコール「強者」なのでした。
「強者」なのだから、何を言っても大丈夫・・・と思っていたに違いありません。
ですから、私に向かって年中、半分笑いながら、「そんなブサイクな顔して〜」と罪の意識なく言えたんです。


しかし、私にすれば、ことは正反対でした。
勉強なんてものは、自分が好きでやっていれば、やるなりのことが素直に返ってくるゲームみたいなもので、「強者」になりたくて努力するものではありませんでした。
ところが「ブサイク」であることは、どう努力すれば解決できるか糸口すらつかめない、途方に暮れるばかりの現実でした。


母に言わせれば、私が「ブサイク」なのは、「愛想がない」「いつも睨んでいて怖い」要するに「表情が悪い」のが原因とのことでしたが、私にはそれだけとも思えませんでした。
母のように卵型の細面ではなく、ひたすら丸い丸い自分の顔。
おまけに最悪だと思えたのは、髪の質です。
母も妹も、細くて柔らかい天然にウェーブする髪質で、いかにもエレガントだというのに、私の髪ときたら父親そっくりの「タワシのような剛毛」で、「この子は髪の毛まで強情にできてる」とよく言われました。
ですから私にすれば、「ブサイク」からの脱出は、そんな母が言うように簡単に「表情」を変えればなんとかなるようなものではなく、「根本的に無理っ!」というものだったんです。


でも、今思い返してみると、どうやら母は、本気で「表情を変えればなんとかなる」と思っていたのかもしれません。
思っていたから、どうにか改善させようと、あれだけシツコク繰り返し非難し続けていたのかもしれません。
彼女にすれば、「美しく」なることは、「勉強する」ことより、余程簡単なことだったわけですから、言い続ければいつかは私が「改心」してくれる・・・とでも思ったんでしょう。


あれはあれで、母なりの私への愛情だったんだ・・・と、今では思えます。
私だって、わが子に対して発する言葉は、私なりに「愛情」をもって発しているわけで、「悪意」からとか、「傷つけようと思って」ということはありませんから。
ただ、そこが親子といえども(親子だから?)人と人との関係の難しいところで、なかなか素直にその「愛情」は伝わらないものなんですよね・・・。




今現在、私は、あんなに「愛想が悪い」と言われていたのが嘘のように、「愛想の良い」人になってます。


もともとこの愛想笑いは、大学生になり、ちょっと笑ってみたら急に男の子からモテるようになったことがきっかけで一気に磨き上げられた「人工的必殺スマイル♪」に端を発していますが、その後年月を経て自然と定着しました。
お蔭で、高校までの同窓会に出席すると、級友も先生も、皆びっくりします。
級友は「キャラクター変わった?」と言いますし、先生からは「大人になったわねー」と言われます(^^;)
きっと今の私しか知らない人は、子供の頃の、あの24時間仏頂面だった私が信じられないでしょうし、同一人物と認識できないでしょう。
それくらい、私は、変わりました。
表面的には、もの凄く変わりました。


でも実際は、今も私は、自分は基本的に「ブサイク」になる危険性を大いに孕んでいる・・・と、思ってるんです。
これは、「ブサイク」と母親から言われ続けて育った、その呪縛から完全に抜け出ることができていない証拠でしょう。
だから、私は常に、誰かと対する時は、必ず「微笑んで」いるんです。
見事なまでの条件反射で、人と話すときは、絶対にニッコリしています。
特に「目が笑っている」ように気をつけています。(もはや完全に無意識ですが、「睨んだ」目つきにならないよう、細心の注意を払っています。)


おそらくは、そういう笑った表情で他人に対していないと、「不安」なのかもしれません。
あるいは、相手への自然な「優しさ」から微笑んでいるのかもしれませんが、本当のところは自分でも、どっちがどっちなのか、もうよく分からないし、最近は「そんなことはどっちでもいい」とすら思えてきました。
ですから、「不安」からだろうが「優しさ」からだろうが、私は、ニッコリ微笑んで人と対することだけは、きっと一生やめないと思います。
子供の頃に笑っていなかった分の蓄えも、たーんまりありますしね・・・(*^ - ^*)ゞ