わが前世は★たぶん男


なんら根拠はありませんが、自由気ままに、わが「前世」を想像してみたいと思いますっ


・・・とは言え、まぁ「根拠はない」ものの、自分のこれまでの人生で、ついついやってしまう行動のクセ、考え方の傾向・・・などを検証してみて、「きっとそうに違いない」とかなり強めに思っている事柄なのです^^;
死んであの世に逝ってみたら、想像していたのとは「全然違ったじゃ〜ん」となるかもしれないし、「うわぁ〜大当たり!」と手を叩くかもしれないし、現時点では所詮夢物語のような「思い込み」の類ですが、でも、こういった想像をするのは楽しいではありませんか?




・・・さて、前々からここに何度も書いてますが、私は前世に一度は「ユダヤ人」を経験していると思うんです。
なぜなら私は、かなりユダヤ人風味の強い性格(要するに財テクと教育が好き)ですし、何よりも、あの「ホロコースト」に対して、幼い頃から尋常ならざる興味と憤りを感じてきました。


加えて、ユダヤ人としてではなくても、ヨーロッパでの前世が多かったのではないかとも思います。
なぜなら、欧州圏言語のマスターにあまり苦労を感じないからです。
また欧州の某都市に関しては、「ここは前に来た」と感じる場所が多いんです。


そして、これはたぶん一度もブログには書いたことがないと思いますが、私は、自分の前世のほとんどを、「男性」として過ごしていたのではないか・・・と感じるのです。




今回の人生で私は、子供の頃、「女の子」に生まれてきたばかりに祖父母や母から、あまり大切にしてもらえなかった、尊重してもらえなかった・・・という経験をしています。
生まれ育った家は格式の古い旧家で、どんなに優秀でも所詮「女は女」という価値観が支配しており、結果、10代が終わる頃までの私は、「なぜ女なんかに生まれてきたんだろう」と思わない日がありませんでした。


ティーンエイジャーの頃の私は、「女の子らしい服装」も頑なに拒否していました。
年中Gパンと開襟のシャツ姿で、スカートなどはめったに穿かず、ましてや可愛らしいレースやフリルなどとは無縁でした。
それでもたまに改まって外出せねばならないときなどに、親から「清楚なワンピース」だの「訪問着」だのの着用を強制されると、それを着ている間じゅうイヤでイヤで、1分でも早く帰宅して、いつものGパンに着替えたいと思っていましたし、げんにそうしていました^^;


女性の生理についても、長く受け入れられませんでした。
「女の子なんだから、そういうものなのよ。赤ちゃんを産む準備をしているのよ。」・・・といくら言われても、納得がいきません。
自分の身体で起こっていることとは思えないというか、自分には必要がないことのような気がしてならないというか、とにかく違和感ばかりが先にたちました。
不思議なのですが、自分に「子供がいる」という状態は、いくらでも想像ができるのに、自分が「子供を産む」という状態は、どうがんばっても具体的な像が結べませんでした。
・・・こういうのって、多くの女性が同じように経験する感情なのでしょうか?


少なくとも、私の周囲にいた同性の友人たちは、自分が「女性であること」を、素直に受け入れているように見えました。
「女性であること」に苦しんでいるようには見えませんでした。
でも私は、女性であることが居心地悪くて堪らなかったのです。


・・・というわけで、私は、自分の前世は「男性だったことが多い」と思ってます!(わはは)
そして今回は、「女性であること」から、いろいろ学んでいる人生なのだと思っています。






これは余談ですが、幼い頃から「女の子」であることにさんざん悩んだ為か、ただ「男性に生まれてきただけ」で「男だから威張る」傾向のある男性には、向ける視線がいささか冷ややかなんですよね〜〜〜私・・・


この際はっきり言わせて貰うと、この世の男性の90%は、「男」だというだけで虚勢をはって生きてますよね。
だから、女性から少しでもバカにされたりすると許せないんです。
根底にそういう意識が流れているように思います。
そして、涙ぐましいばかりに「俺は男だ」というプライドを守りながら、実はとても窮屈に、そのシバリに耐えながら生きています。


ですから、ちょっとアタマのいい女性は、男性をバカにするような言動をしませんよね。
怒らせても面倒なだけだから、適当に譲歩して生きてます。
でも大多数の男性は、そうやって女性から譲歩されている事実に気付きさえしません。
「男の俺様は、男であるということを頑張っている。だから偉い。」と、ごくフツーに信じて生きています。




私は、結婚してもう長くなるけれど、いまだにセレフィカさんのことが、もの凄く好きです。


なぜなら、彼には、「俺は男だから偉い」といった感覚が、まるっきり欠落しているからです。


セレフィカさんは、私が知る限り、ごく少ない、「男」であることに縛られていない男性の一人です。
お蔭で、彼と一緒にいると、私は心から安らぎます。
なぜなら、彼が「男」を自分に強いていないことで、私も、「女」であることや「妻」「母」であることを、精神的に押し付けられずにすむからです。
それがお互いにとって、どんなに楽で自由かわかりますか?


セレフィカさんを嫌っているわが実家の母は、彼を「頼りない」と言います。
でもねー、なんで男だからって、夫だからって、「頼り」がなきゃだめなんですか?
男らしく威張ってなきゃだめなんですか?
「一家の大黒柱」顔をしてなきゃだめなんですか?
「妻子は俺が守る!」とか宣言しないとダメなんですか?


変ですよ、そんなの。


そもそもうちはね、車を運転するのは、私の役目です。
だって、車の運転、どー考えても私の方が上手だから!
車の種類や性能についての知識も、私の方があるから!
だから息子も、小さい頃から、「車はお母さんが運転するものだ。その方が安心感がある。」と思って育ってます^^


「優しさ」に関しては、もぉ断然、軍配が上がるのはセレフィカさんです。
息子も、私よりは彼に甘えてますもんね・・・
「パソコン」や「数学」に関することでも、そりゃー勿論頼りになるのはセレフィカさんです。
私なんか、こっち方面では、ものの役に立ちませんから。


セレフィカさんの凄いところは、自分ができないことは、ごく自然に、「ごめん、ぼく出来ないよ」と言えるところです。
たぶんそれは、ぐっと根底で自分に自信があるから言えるわけで、その自信の根拠は、けっして「男である」ことなんかじゃないんですよね。




ここ数年、スピ界の掲示板などを閲覧してきて思うことは、精神世界に興味があるような男性でも、意外と「自分が男性であること」に囚われてる人は多いんだなぁ〜ってことです。
別にそれが悪いとは言いませんが、そういう感覚の古さや固さって、ただネット上の文章でさえ、ちゃーんと出るものだから面白い・・・と、いつも思います。