壊される夢


怖い夢を見ました。
しかも妙にリアルで、目覚めてからも、それが「夢」であることになかなか気がつかないほど、真に迫る夢でした。




こんな夢です。


場所は、現在住んでいる家でした。
私は、来客があるので、家中を掃除していました。
テキパキと能率よくそれを終え、あとは自分が着替えるだけ・・・と思いながら玄関を見ると、さっき掃除したばかりだというのに、そこにはシュレッダーのダストボックスをひっくりかえしたような紙片が、大量にばら撒かれています。


私は、それを息子の仕業だと、何の疑いもなく思いました。
「せっかくキレイに片付けたのに、どうしてまたこんなゴミを撒き散らすのよ!?」と、叫びましたが、なぜか当の息子は現れません。


来客の予定時間も迫っているので、私は必死で紙くずを掃除しました。
ところが、その後部屋に戻ると、今度は部屋の中が紙くずだらけです。
私は息子の名前を大声で叫び、「どうしてこんなことをするのよ!?」と、地団太を踏んで怒りましたが、やはり彼は姿を現しませんでした。


その後、どういうわけか場面が変わり、私は車を運転していました。
快調にスピードを出して、なかなか気持ちのよい景色の中を走っていました。
ところが、信号で停車しようとしても、ブレーキがききません。
私は必死で右足を踏み込むのですが、フカフカとした感触しかなく、まったく減速しません。


「困ったなー」と思っているうちに、どうしたわけか、私は自分の家に帰っていました。


玄関を開けると、さっきと同様に床一面に紙くずが散らかっており、私は「あー、まただ・・・」と苦い気持ちになりました。
そして更に部屋に入ると、なんと、私の「宝物」であるピアノ(父に買ってもらったグランド・ピアノです)が、滅茶苦茶に、粉々になるまで壊されていました。


私はまた、息子の名前を叫びそうになりました。


ところが、夢の中で、私は考えたのです。
「いくらなんでも、私が何よりも大事にしているピアノを、息子が壊すはずがない。なんで私は、とっさに息子の所為にしようとしたんだろう? 息子が悪いと決め付けたんだろう?」
私は、息子に対する「疑ってごめんね!」という思いと、破壊されつくしたピアノへの「なぜ?」という思いで、頭の中が混乱を極め、その場にへたりこんで泣きました。


・・・・・・・・・・・・・・・・




どうやら泣いているうちに、私は目が覚めたようでしたが、まだ夢の悲しみを引きずっており、現実に自分が泣き叫んでいたような嗄れた感触が、喉に生々しく残っていました。


私は起き上がると、いてもたってもいられず、ピアノの部屋を見に行きました。
大学入試合格発表のその日に、父が「ご褒美」に買ってくれたピアノは、そのまま無傷でそこにありました。
夢の中では、あっちこっちに無残に飛び散っていた鍵盤も、ちゃんとお行儀よく蓋の下に並んでいました。


次に息子の部屋を見ると、彼は気持ち良さそうに寝ていました。
面白いもので、こんなに大きくなっても、眠る時は、赤ちゃんの頃と変わらない顔で寝ています。
もの凄く無防備な寝顔です。




そういえば昨日、地下鉄に乗っていて、前に赤ちゃん連れのお母さんが座ったとき、その4ヶ月くらいの赤ちゃんの可愛らしさに、なぜか目頭が熱くなってしまいました。
うちの息子にも、こんな頃があったなぁ・・・私にもこんな頃があったなぁ・・・と思うと、見ず知らずの親子なのに、自分でも恥ずかしいほど感情移入をしてしまい、涙がこぼれそうになりました。




ぶっちゃけた話、最近の私は、四六時中、息子にイライラしていました。
なにしろ、私がどんなに一所懸命になって息子のために行動しても、大抵の場合、それは無駄になるか、裏切られるか、更に問題を生むか・・・のどちらかなのです。
とにかく彼は、私の「思い」には、なかなか応えてくれません。


「この子は、私にあえて敵対するために生まれてきたんじゃないの?」


「私自身は、子供の頃、あれほど親につかいたくもない気をつかってきたというのに、なぜ自分が親になったら、その子からは、なんら報いられることがないんだろうか?」


・・・・そんな考えが、胸に湧き上がってくると、それを否定できないまま、ずるずると不愉快な気分に支配され、「子供なんか産むものじゃないわ。子育てなんてするものじゃないわ。あるのは苦労ばっかり。失望ばっかり。」と、ぶつぶつ心の中で呟くことを止めることができません。




アスペルガー症候群の子供は、インディゴ・チルドレンです♪ 特別な存在なのです☆ 敬意をもって接しましょ〜 心からの愛情で包みましょ〜』・・・な〜んてお気楽に主張する本やサイトを見ても、確かに息子がもう少し小さい頃は、「そうかも?」なんて、まるで「溺れる者藁をも掴む」の気分ですがりたくなった時期もありましたが、今はむしろ「ふざけんなよっ!」「『10歳以下のこどもの90%はインディゴ』だって? ボケた話はいい加減にしてくれっ!」・・・と、日々地味に関わっている親には腹立たしいばかり。


『子供が親を選んで生まれてきます』というスピリチュアリズムの常識(?)にしても、「あーそーですか。あなたが私を選んだんですか? そりゃまたこっちには迷惑な話ですねー。なんで私を選んだの? なんか私に恨みでも? 私を困らせてやろうと思ったの?」・・・などと毒づきたくなることも日常には多々あるわけで、そう簡単に『愛で包みましょう』のできない未熟さが私には充分すぎるほどあるわけです。


そう。
要するに、荷が勝ちすぎている。
私には重過ぎる。
できないよ〜 もういやだ〜〜と駄々をこねて、全部放り出して、きれいさっぱり蒸発したくなることもあるわけです。
不器用なセレフィカさんには悪いけど、この父子はある意味似たもの同士なんだし、それなりに上手くやっていけるでしょ?
セレさんは、息子のことが、私のように逐一「癇に障る」こともないようだし、自信を喪失することもない人だから、なんとか育ててくれるでしょ?
じゃあねー よろしく〜〜 頑張って子育てしてね〜 バイビー!(゚▽゚*)ノ~~


    〜〜〜なーんて、やってみたいもんだよ・・・(●´・△・`)はぁ〜






・・・・しかし・・・・・


地下鉄車内で、たまたま前に座った母と子に目頭が熱くなった夜、あまりにゾッとする夢を見たのは、なぜなのでしょうか?


徹底的に壊されていたのが、私の大切なピアノだったことには、何か意味があるのでしょうか?
それを、一瞬でも、息子の仕業だと思ったのは、どうしてでしょうか?
さらに、夢の中で、そうした息子への疑いを持ったこと自体に後悔し、号泣したのはなぜでしょうか?


自分を振り返るためにも、暫く、この夢のことは忘れてはいけないような気がします。






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