「あれは風車ですよ」


昨年、私はかなりの苦労をしてチケットを手に入れ、「この公演を最後にします」と言うシルヴィ・ギエムの『ボレロ』を観ました。


何度も何度も同じ旋律が楽器編成を変えて繰り返されるラヴェルの音楽にのせ、彼女の踊りは、まるで幻惑の世界を目の当たりにするかのように美しく、完璧で、あの日は客席全ての人が、まさに魂をふるわせるような感動に浸りました。


そして今日、私は、先日購入したまま未視聴だった、シルヴィ・ギエムのインタビューや舞台、練習風景を追ったDVD作品『美と神秘のプリマ シルヴィ・ギエム [DVD]』を、ようやく見ました。
これがまた言葉にできないほど素晴らしく、画面狭しと踊る彼女の動きを目で追いながら、何度となく「おぉ〜」と驚嘆するやら溜め息をつくやら…。


このDVDでは、古典バレエのレパートリーから、いかにも彼女らしく、『白鳥の湖』黒鳥のヴァリエーションや、『ドン・キホーテ』キトリのヴァリエーションなどを、いとも軽々と、しかも完全無敵のテクニックで情感たっぷりに踊っています。
中でも『ドン・キホーテ』のキトリは、それはみごとで、眩しいばかり!
こんな凄いキトリ、私はついぞ観たことがありません。
圧倒されてしまいました・・・。




それはそうと、『ドン・キホーテ』って、面白い話ですよね〜
なんでも「聖書」の次に出版部数を誇るほどの大ベストセラーだったそうですが、今読んでも、なかなか楽しめる小説です。


そういえば昨年2005年は、『ドン・キホーテ』初版発行から400年…という記念の年だったんですが、日本ではどちらかというと、この小説よりは、「安売り」やら「買収」やらで有名な企業名の方が数倍注目されていたので、あまり話題にもなりませんでした^^;


1605年にスペインで発表された、セルバンテス作『ドン・キホーテ』の主人公は、本を読みすぎてアタマがおかしくなってしまった老人、キホーテさんです。
「ドン」というのは、貴族に付く敬称なんですが、さて、そのドン・キホーテは、本(「騎士道物語」)の架空の世界と、自分が生きている現実の世界の境界線がつかなくなってしまい、とうとう自らを「中世の騎士」だと思い込んじゃうんですよね〜
そして思い込んじゃっただけでは済まず、従僕のサンチョパンサを連れ、痩せた馬にまたがって旅に出ちゃうわけです。
ドン・キホーテドン・キホーテなら、家来のサンチョパンサもまたかなりの「おバカキャラ」で、なにかと嘲笑の的になるんですが、そうした二人の珍道中エピソードの中でも有名なものが、先述したバレエにも脚色された「宿屋の娘キトリを、夢の中のドルネシア姫だと勘違いする話」・・・と、「風車を巨人の怪物だと思い込んで戦いを挑む話」・・・なんですね。


まぁフツーに考えるならば、「風車」を「巨人の怪物」だと思い込む・・・なんてことは、非現実的も甚だしいバカな話です。
400年前の人間は、こんなしょーもない話を面白がっていたのか・・・と、私も最初に『ドン・キホーテ』を読んだ時には思いました。


でも、最近は、あらゆる人の心の中に、「風車」はあるのではないか?・・と思うようになりました。
そう思ったときから、『ドン・キホーテ』は、私にとって、ただの「おバカ話」ではなくなっています。




ところで、波川海のブログでは、あいかわらず川氏が、一方的に自論を展開されています。


川氏は、ハンドルネームがヨシさんだった頃からそうなんですが、どうもご自分で一方的に思い込んだことが、そのまま「現実」にすりかわってしまうようなところがあって、これまでにも何度か「仮想敵」を作り、それに批判を加える・・・ということをされてきましたが、あいかわらずなんだなぁ・・・と思います。
本当は、こんなことは波川海ブログのコメント欄に書きたいところですが、なにしろあちらでは一切のコメントもトラックバックも受け付けてはいないので、仕方なくこんな自分のブログに書いているわけですが、やはり、さっき書いた『ドン・キホーテ』の話じゃないですけれど、「巨人の怪物」でもないのに、「オマエは巨人の怪物だ」と言われた人は、それなりに迷惑なんですよね・・・。
今回の場合は、シルバーバーチ翻訳者の近藤千雄氏と、心霊学研究所のペーパーバーチ氏が標的になっていますが、川氏本人は、自分は正しい、自分は真理を語っている、という一念にかられていますので、何を言っても通じないどころか、ますます意固地になられているようです。
残念なことだと思います。






ドン・キホーテの風車」は、実は誰の心にも存在するのでは?・・・というさっきの話に戻ります。


私にとっては、「母」です。
あと、自分が「女性として生きていること」も、そうかもしれません。


私はよく、自分の頭の中だけで「被害者意識」やら「独善的な正義感」などを作り上げ、その妄想に憤慨してしまうことがありますが、そんな時はよく、自分自身に、「ちょっと、ちょっと、ゆうさん、あれは『風車』ですよ〜、『風車』に文句つけてどーすんの?」…と言い聞かせ、「落ち着け〜落ち着くんだぁ〜」とクールダウンするように努めてはいます。
それが上手くいくこともあれば、なかなか思うように感情がコントロールできないこともありますが・・・。


人間、いろいろ生きてくると、やっぱり様々な「ドン・キホーテの風車」を抱えますよね。
それは仕方のないことだと思います。
それだけ苦労が多いってことですから。
苦労が多いってことは、それだけ得られるものも多いってことですしネ。




ただ、「風車」の身になって考えれば、「風車」なのに「巨人の怪物」にされてしまったら、やっぱりその「風車」は、気の毒ですよ。
「風車」は「風車」として、その仕事を一心にやってるわけですからね。