原書で読め?


いよいよ明日ですよ〜!


・・・何が?って、あのハリー・ポッターと謎のプリンス日本語訳が発売されるのが、明日5月17日なんですよ〜^^




うちでは、これはもうとっくの昔にAmazonに予約済みですので、あとは本の到着を待つばかりなんですが、いや〜楽しみ楽しみ♪


セレフィカさんも息子も家族中が読み終わるまでは、「ネタバレ防止の為にハリーポッターに関する話題は御法度」という、読んじゃった人にはウズウズむずむずな「家庭内ルール」まで確立されている我家であります!
さあ、今年は誰が「最初に読む権利」を獲得するのでありましょーかっ!?




ちなみに、『ハリーポッター』シリーズの「原書」は、うちには全巻揃ってます。
シルバーバーチ』の原書は注文しようともしない私が、『ハリーポッター』のオリジナル本は、ちゃっかり買っちゃうんですね〜


なぜか?


そりゃ話の先が知りたいからに決まってるじゃないですか〜♪^^
オリジナル本が発売された時には、当たり前のことながら日本語訳なんか出てないわけですから、ストーリーの先を知りたければ「英語で読む」しかないわけです。


・・・と、そうは言っても、今回の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』に関しては、実は私はまだ原書を読んでません。
英語版は本箱に「積読」状態で突っ込まれたままです^^;
なにしろこのところ仕事上で読まなければならなかった本も大量にあった上に、いろいろ忙しかったもので、「そのうち」と思いながら、結局手に取れずにいたら、とうとう「日本語翻訳版」発売になってしまいました。


でもね、まぁいいです☆
こうなったら「日本語版」で読むので^^
だって、やっぱり日本人ですから、どんなに英語は「得意です」「喋れます」って言ったって、所詮は母国語のように速くスイスイとは読めません。
勿論オリジナルの英語には、オリジナルでしか味わえないニュアンスがありますが、でもなぁ、私は別に『ハリポタおたく』ではないし、要は話の筋が分かればそれで満足なもので、日本語で読めるなら、それほど有難いこともありませんよね〜


しかし、これは毎度のことですが、『ハリーポッター』の翻訳本が発売される毎にネット上をにぎわすのが、訳者である松岡佑子氏への非難ゴーゴーです^^;
やれ「誤訳」だ「歪曲」だ「意訳がすぎる」・・・かと思うと「直訳しすぎている」と言う人あり、とにかく毎回わきおこる一部「おたく勢力」からの非難の嵐!
やはりそれぞれに思い入れの濃くなる海外作品には、こうした翻訳叩きは付きものなんですね。
そういえばトールキンの『指環物語』だって、その映画の「字幕」をめぐって、「誤訳だ!」騒ぎがありましたっけ・・


うぅ〜ん、あまりにもファンの多い作品の翻訳をするのって、実にタフな仕事ですなぁ・・
気の小さい私には絶対にできそうもないゎ。




でもね、大方の人は、翻訳者には凄く感謝してると思うんですよね。
特に『ハリーポッター』に関して言えば、子供たちは、翻訳本があるから「ハリー」に出会うことができたんですものo(*^▽^*)o
この素晴らしい作品が日本語になったおかげで、どれだけ多くの子供たちが、「ホグワーツの寄宿舎」に想いを馳せ、「ハリーの背負った宿命」を共に乗り越え、夢や勇気を与えられてきたことか!






ところで、近頃巷では(…ってYahoo掲示板のことなんですがネ^^;)、『シルバーバーチの霊訓』における「近藤千雄氏の翻訳」が批判の槍玉に上がっています。


また、以前ここが「ゆう&セレフィカ・ダイアリー」だった頃にはリンクしていた『波川海』さんのブログでも、主に「川氏」が、近藤訳の「問題点」を列挙しつつ、

私たちが入手できるシルバーバーチの言葉は完璧で完全なものであるという認識ではなく、不完全なものであるという認識を持ち、健全な懐疑精神で読んでいく必要がある。したがって、そのような姿勢から、スピリチュアリズムシルバーバーチ)が最も優れた思想だという排他性がなくなり、謙虚に他の思想・宗教にも耳を傾ける姿勢が自然とできるようになる

・・・という主張をなさっています。




うぅ〜〜ん、正直言ってですね・・・私は「あほくさ」と思うんですよね・・・。


Yahoo掲示板の湧き水氏こと、川氏は、「心霊学研究所」や「Spiritual Cord」の掲示板では「ヨシさん」でしたので、私も非常に親しくやり取りをさせていただいた過去があり、ネット上ではとても身近に感じている方なんですが、しかし、今回の一連のこの主張には、どうも「付いていけない」ものを感じます。


まず、川氏が述べておられる「シルバーバーチの言葉は完璧で完全なものであるという認識」は、いったい、「どこ」の、「誰」の認識なのか・・・という点です。
あの「心の道場」のようにシルバーバーチを教義化してガチガチに信仰してる人たちを除いて、他にいらっしゃるんですかね〜?


スピリチュアリズムシルバーバーチ)が最も優れた思想だという排他性がなくなり、謙虚に他の思想・宗教にも耳を傾ける姿勢が自然とできるようになる」・・・というお考えにしても、私の知る限り「排他性」が感じられるスピリチュアリストと言えば、やっぱり「心の道場」以外に「該当者なし」なんですけども・・・


そして、そうした「心の道場」の歪みについては、あの有希さん掲示板騒ぎ以来、ここ数ヶ月でかなり明らかにされ、かつてのような「窮屈さ」は感じられなくなっているんですが、だというのに、なぜ今さら、わざわざ近藤千雄氏の訳を云々しなければならないのか、その「意味」も「意義」も、残念ながら私にはわかりません。




そもそも私は、スピリチュアリズムについて「学術的」にあーだこーだ仔細に論じ合うことの、その「目的」が見えません。
いったいそれをして、どうしたいのか、それがわからないし、時間の無駄のような気さえします。
少なくとも私は、そんな机上の議論に加わる気持ちはまったくありません。
そんな暇があったら、もっと積極的に、リアルな自分の人生を生きることを考えます。


問題は自分の周囲に山積してるんです。
シルバーバーチを「苦の視点」で読もうが読まなかろうが、実際の人生に「苦」は散りばめられてます。
それと同時に「喜び」や「美」も溢れています。
そのどれを掴み取り、吸収して生きていくかは、それぞれの人生の中でしか答えは出ないはずです。
霊訓をいくら読んだって、たとえ辞書を片手に「原書」で読んだって、それが何になるのでしょう?




ともかく、私自身は、近藤千雄氏には、感謝しています。
あれだけ大量の「シルバーバーチ」を、日本語でスイスイ読めるようにして下さったことは、本当にありがたいことです。
翻訳者の「思想」が混入して「歪曲」されている・・・というのがもっぱらの批判対象のようですが、そもそも「翻訳」って、そういうものなんじゃないですか?
それはもう仕方のないことでしょ?
一字一句にこだわって読む方がオカシイんですよ。




そういえば、私の愛する小川洋子さんの作品は、フランスで人気があって、何冊も仏語に翻訳出版されてますが、厳密に言えば、小川さんならではの「日本語の手触り」「言葉の透明感」みたいなものは、仏語になった途端に失せますよね・・・
でも、だからといって、仏語になったら小川作品の輝きが損なわれるか・・・っていうと、そんなことは全然ないわけです。
ちゃんとフランス人は、作品の「内容」に感動してるもん!
それでいいんじゃないの?
ハリーポッター』に世界中の子供たちが感動しているのも、それは「内容」に対してなんだし。




だいたい、万が一翻訳者が「悪魔のごとく歪曲」しようとしたにしても、「内容」って、そうは変えられないものだと思います。
シルバーバーチ』に限って言えば、同じようなことを何度も何度も繰り返し述べていることも多いし、これらから総合的に「内容」を理解した結果、読者は「感動」してるわけですよ。
いったいどこの誰が「近藤先生の思想が混じった一字一句」に感動させられてるのか知りませんが、そういう仮定で訳者を批判するのは、やはりどう考えても間違ってる・・・と、私は思ってます。