ひねてる?


子供の頃は、ほぼ毎日のように「ひねてる」・・・と言われてました。
「あんたは、なんでそんなひねてるの?」とか、「ひねた子やねー」とか・・・ま、そんな感じで。


ちなみに「ひねてる」とか「ひねる」という言葉は関西弁で、共通語の「ひねくれてる」とは、ちょっとニュアンスが違います^^;
これがちょっと説明の難しいところなんですが、なんとゆーのかなぁ・・・「ひねくれてる」って言うと、こう正面切ってふてくされてる感じがするんですけど、「ひねてる」ってゆーのに、そういうハッキリ正々堂々(?)の印象はないような・・・。


ま、要するに「かわいくない」んです。
「にくらしい」まではいかないけど、「かわいくない」。




前置きが長くなりましたが・・・・


私、大人になってからは、そんなに「ひねて」ません!
正しく言えば、実はとっても「ひねてる」のに、それを隠して社会人やってます。
職場でも対人関係のトラブルを起こしたことないし(起こさないように人と距離取ってるだけだけど・・・)、いつもニコニコしてるし、けっこう親切だしさっ!
別に、「このやろー」とか腹で思いながら、表面でいい顔してるって意味じゃありませんよ。
ただ時々、「それは私の好みではないな」と思うことがあっても、それを表明してないだけのことです。
(こういう態度が、そもそも「ひねてる」とも言えるのかなぁ?)




いやー今日は本当に前置きが長い・・
すみません^^;




で!
何が言いたいのか?


いよいよ本題っ☆




私、こういう人が「好みでない」んです。


その1。


小川洋子の『博士の愛した数式』を読んで、「心あたたまりました」「泣けました」・・・という感想を、ペラッと言う人。


「心あたたまりました」・・・って、えっ!?
「泣けました」?
まあね・・・そういう目的で読む人にもちゃんと受ける小説かもしれないけど、そういうカテゴリーに単純に安っぽく分けて欲しくないな・・・。




その2。


スピッツの曲を聞いて、「癒されます〜」・・・とだけ言う人。


「癒され」たくて聞くなら、スピッツってどーよ?
確かに、草野さんの声は癒される声ですよ。
でもさ、彼の歌ってる顔って、私の中では「ひねてる」の範疇に入るんだよね・・・。
彼の書く詩も、りっぱに「ひねてる」と思う。
この「ひねてる」加減に共感して「癒されます〜」ならわかるけどさぁ、ただ表面的に雰囲気だけで「癒される」って決められてもなぁ・・・。




その3。


江原啓之氏の番組を見て、これまた「癒される」と言い、実に安易に「エハラー」なるものになる人々。


確かに私は、どちらかといえば江原さんのことは応援してます。
でも、私、彼のファンってわけじゃない。
基本的に太った男性、好みじゃないし。(えへへ、こんなこと書くと、いつかペーパーバーチさんに噛みついた人がいたみたいに、私も叩かれるのかな? うふふ^^)
それでも私が江原氏を批判ではなく応援したいのは、今のところ私には、彼がまともなことを言っている、と思えるからです。
彼だって人間ですから、私はあの人に「聖人君子」であることなんか、これっぽっちも求めてません。
「死んでもたましいは終わらない」ってことを一所懸命に伝えてくれてるだけで、私的には充分なんです。
しかも彼は、その伝え方が上手ですよね。説得力あるじゃないですか?
でも、そこに過剰に依存して「エハラー」なるものになる人の群れって、私は好みじゃない。
なんかカッコわるい。




その4。


グループでしか行動しないおばちゃん。


4人以上のグループで美術館に押し寄せるのは止めて欲しい!


うるさいし、じゃまだし、なんで来るの?・・・とよく思う。
だって、展示されてる作品見てても、ぜんぜん関係のない話してるんだもん。
そのくせ割り込みはするしね・・・。
一人一人はそう悪い人じゃないのはわかってますよ。
でもさ、おばちゃんの集団は「好みじゃない」どころか、嫌い。



その5。


再三言ってますが、「怪電波」を発生させる人。
まともに相手をするのも面倒くさいからなるべく無視するか適当に放ってるけど、悪いけど心の中では「あほ?」と思ってます。


だってさー、私「ひねた子」歴だけは長いもんでね、「怪電波」を素直に受信するアンテナなんて持ってないのよ^^
えへっ♪