芸術家の繊細さについて


「繊細な芸術家」・・・というキーワードで、私の頭に浮かんでくる名前は、まず音楽家ならロマン派の作曲家のシューマンです。
美術方面だと、ご存知ゴッホとか、彫刻のカミーユ・クローデルでしょうかね〜


こうして並べると、三人とも精神を病んで自殺か自殺未遂をしている人ばかりですが・・・




シューマン・・・


彼は、とにかく硝子のように壊れやすい神経の人だったと思うんですよね。
同じロマン派の作曲家では、ショパンメンデルスゾーンなんかも、充分に繊細そうな顔立ちだし、作品も実にデリケートですけれど、でも、彼らの音楽に対しては、シューマンのような「ワレモノ注意」的な気難しさは感じられないんですよね。


とはいえ、私、シューマンの作品、大好きです。
だって、いかにもロマンチックじゃないですか!
親しみやすい「流浪の民」のような合唱曲や、「トロイメライ」などの有名なピアノ曲は勿論ですが、彼の真骨頂である歌曲の美しさときたら、素敵な歌手のいい声で演奏されると、心の底からウットリしますもんね〜
特に「詩人の恋」の、あの恨みがましさ、生真面目に未練たらたらウジウジ具合は、一度好きになると容易に抜けられない魅力を放ってます^^




画家のゴッホですが・・・


彼の作品を見ていると、こちらまで苦しくなることがあります。
草の一本、空気の流れの一筋、建物も、地面も、髪や肌も…画面の全てが、「ぼくを愛して欲しい」「ぼくを見て欲しい」と叫びながらうねっているようで、私などは、思わず後ずさりしそうに圧倒されてしまうんです。


ゴッホは、確かにきわめて繊細な精神の持ち主だったんでしょうが、その上に、愛に飢えていたんですよね・・・。
だから、ああいう表現で自分の飢餓感をあらわし、それが受け入れられないことで、ますます飢え、心が傷ついていく・・・という悪循環の果ての自殺だったわけで・・・




そして、彫刻家のカミーユ・クローデル・・・


カミーユは、非常に才能のある人でした。
師であり愛人であったロダンは、確かにあの時代の大巨匠でしたが、そうした彼の影に隠れてしまうには、あまりにも非凡な才能の持ち主でした。
だというのに、世間は、彼女をロダンの付属物程度にしか評価していない・・・と、カミーユは不満をつのらせていました。


また彼女は、類稀な美貌に恵まれていました。
その美しさにロダンも夢中になったわけです。
でも彼女は、ロダンを、その内縁の妻ローズ(平凡で無教養な女性です)から奪うことはできませんでした。


ロダンに捨てられたカミーユは、精神に異常をきたし、「ロダンが私の作品を奪いに来る」「私の生活を破壊する」といった妄想に囚われ、結局亡くなるまでの30年間を、精神病院に幽閉されて過ごします。




カミーユの作品を、パリのオルセー美術館ロダン美術館ではじめて見たとき、私は、涙が出そうになりました。
特に、一人の男性を、老女が若い女から奪っていくシーンを形造った作品には、胸がしめつけられました。
「私を捨てないで! 私を愛して!」と、その作品は叫び続けていました。
私は、「ロダンって、ヒドイ男だわ! サイテーの男だわっ!」・・・と憤慨し、こんな男性を愛し、執着したばかりに人生を狂わせた天才芸術家に激しく同情しました。


・・・でも今、私は、少し違った見方をしています。


ロダンが、なぜカミーユを捨てたのか・・・それが、分かるような気がするのです。
なぜなら、カミーユは、けっしてロダンを愛していたわけではないからなんですよね・・・。


彼女は、愛されたかったんです。
しかし、自分が望むようにロダンが愛してくれないことから、自尊心が傷つけられ、その傷を癒すためには、ロダンから愛されること以外は考えられず、でもそれが実現不可能であることから憎しみに転じたものの、尚まだ彼からの愛を求める・・・という感情の地獄を、ついに抜け出せなかったのです。



シューマンにしても、ほとんどストーカー的に執着して結婚したクララを、本当に愛していたか?・・・と問われると、それはどうかなぁ〜〜という気がしてならないんですよね・・・
シューマンって人は、常に自分が「愛されたくて」ならなかった人なんじゃないかと、思えて仕方がありません。


ゴッホだってそうです。
彼は、自分に徹底的に尽くしてくれた弟を、愛していたでしょうか?
感謝はしていたかもしれません。
でも、それもどうなんだろう・・・感謝する気持ち以上に、要求する気持ちの方が何倍も勝っていたんじゃないでしょうか。






「愛して欲しい」欲求が創作意欲に繫がっているアーティストは、よく「繊細」とか「純粋」といった評価を受けるような気がします。
そして、「愛して欲しい」人の魅力は、そこにあるのだとも言えます。


なぜなら、私達人間は、誰もが心のどこかに「愛して欲しい」という希求があるわけで、そうした感情を、美しく、時には痛ましく肥大化して聴かせてくれたり見せてくれる芸術に触れると、深い共感が生まれて、癒されるからです。
自分だけが苦しんでいるわけではないことを、そうした作品たちは教えてくれるし、心に寄り添ってくれるからです。




そんなわけで、私は思うんです。


シューマンゴッホカミーユも、「私を愛して欲しい」と訴える生涯を送り、その思いをひたすら表現した芸術家でしたが、結果として、その作品にふれた多くの人は、むしろそこから力や癒しを得ているのですから、彼らは、作品を通して、多くの人を「愛している」とも言えるのではないかと・・・。
既に今、彼らの作品は独り歩きをして、世界中で熱烈に愛されていますが、人々が愛するのは、作品そのものから何か大きな「愛」を感じるからだと思うのです。



そのように大転換を可能にするところが、真の才能に恵まれ、真に純粋で繊細な心をもった芸術家の、最高に素晴らしく羨ましい一面じゃないかと思うのですが、いかがでしょうか?




シューマン:詩人の恋

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