ニューズレターの嘘とカラクリ


これはとても不思議なことですが、人間って、ちゃんと心を成熟させないまま大人になると、「自分を愛していない人」や「自分を拒絶する人」に、どういうわけか惹き付けられて、離れられなくなる傾向があるんですよね・・・。


・・・あるいは、人は、自分の中に大きな「不安」があったり、「自己否定」の気持ちが強いと、「自分を嫌ったり軽蔑する人間」に、どうしようもなく服従してしまうことがあるのです。
しかし、表向きは服従していても、無意識の領域である心の奥底では、そうやって自分を軽蔑する相手を激しく憎んでもいるので、この両者の関係は、非常に不安定で、わざとらしいものになります。




これは、心理学では「反動形成」と呼ばれているもので、私自身にも大いに経験のある精神状態なのですが・・・、霊的なことに心惹かれる方々をネット上で眺めていると、ここに陥ってしまう人が、かなり多いような気がします。





数年前、江原啓之氏の書籍から霊的真理に興味を持ち、ネット上を「スピリチュアリズム」で検索した結果、「心の道場」のサイトに行き着いた私は、その日のうちに、貪るように「スピリチュアリズム入門」から「続スピリチュアリズム入門」「シルバーバーチは語る」まで読破し、ニューズレターも時間の許す限り読みました。


この時の第一印象は・・・、「なんだかヤナ感じ・・・まるで宗教・・・偉そうな断定口調は何?」というものでした。


しかし、この第一印象は、読み進むうちに、だんだんと別の意味合いに自分の中で置き換えられていきました。
つまり・・・
「宗教臭が濃いのは、それだけこの執筆者が信念を持って書いているから・・・」
「断定口調なのは、やはりそれだけ純粋に信じているから・・・」
というように、私は、私自身が思う「反感」を逐一自ら打ち消していきました。


だってねー、これらの書籍がネット上で無料公開されていることを考えると、その恩義も忘れて内容や口調に疑問を感じることすら、とても「悪いこと」のような気がしたんですよね〜


しかも、ニューズレターには、こんな但し書きもされているんです。


 さて、ニューズレターの内容についてですが、それにはさまざまな意見や感想があって当然です。賛否両論あってしかるべきです。現に一部の方達からは、批判の声が寄せられています。
 私達はニューズレターに反対される方々には、もしニューズレターの内容が、皆さんの理性的判断に照らして納得がいかないときには、あるいは気に食わないときには、ニューズレターを拒否し、無視してくださるように申し上げております。ニューズレターの内容が、シルバーバーチの言うところと違っていると思われるのなら、「ニューズレターをすべて否定していただいて結構ですとお伝えしています。
 シルバーバーチは常に、“語られる言葉”を自分の理性と照らして判断するように繰り返し強調しています。ニューズレターに対しても、当然そうあるべきです。シルバーバーチが――「理性が反発するときには、どうぞご自由に無視してください」と言っているのと同じで、皆さん方の理性が納得しないのであれば、ニューズレターをすべて否定されても、私達はいっこうに構わないのです。私達も、ニューズレターの評価を皆さん方の理性的判断に委ねています。ニューズレターから多くのものを学び取っていただくのも、ニューズレターそのものを否定されるのも自由なのです。各自の霊的成長は、一人一人の自己責任のもとにおいてなされるのですから、それが神の摂理にそった在り方なのです。
(ニューズレター20号より)

「受け入れるのも受け入れないのも、自由にしていいんですよ」という、なんと寛大な態度だろうか・・・と思いました。
こんな「心の広い」方が書く文章に、いちいち反発するなんて「霊性が低いってことだわっ!」と感じました。
そして、「霊性が低い」などと自分を思いたくなかった私は、当然、このニューズレターを受け入れよう、受け入れるべきだ・・・と、思ったわけです。




し か し ・・・・・


どうしても私からは、「ニューズレター」への反感が消えませんでした。
反感が消えないので、なんだか余計に、「心の道場」を「尊敬したくてならない」時期がありました。
あのサークルの活動は素晴らしいんだ・・・と言いたくてならない時期がありました。


今から思うと、あれこそ、心理学で言うところの「反動形成」そのものだったような気がします。


そんなある日、今は消えてしまった有希さんのサイトがはじまりました。
その掲示板では、彼女があたかも教師のように尊大に振る舞い、さかんに「心の道場」の宣伝をしていました。


私という人間は、もともと年上の同性に対する視線が険しいので、この人がただフツーに俗なオバサンであることはすぐに見破りました。
そしてその時点で、私の中にあった「ニューズレター」に対する「罪悪感」も氷解したんです。
そして、この中にある様々な欺瞞、嘘が見えるようになってきました。


まず、上の引用部分ですが、これは、一見非常に「心が広く」「寛容」「真摯」な内容のように見えますが、よくよく読めば、非常に傲慢な姿勢に貫かれていることがわかります。


だいたい、もし「ニューズレター」が「受け入れられない」ことを、執筆者が受け入れているのであれば、わざわざこんなことは書かないものです。
どんな意見でも説でも、万人が受け入れるものなど、この世にはありません。
かならず支持する人がいて、非難する人がいます。
それが自然な姿です。


それを、わざわざ、「皆さんの理性的判断に照らして納得がいかないときには、あるいは気に食わないときには、ニューズレターを拒否し、無視してくださるように申し上げております。」・・・なんて書くのは、実は、受け入れられないことへの過剰な自己防衛反応です。
さらに、「ニューズレターから多くのものを学び取っていただくのも、ニューズレターそのものを否定されるのも自由なのです。各自の霊的成長は、一人一人の自己責任のもとにおいてなされるのですから、それが神の摂理にそった在り方なのです。」・・・と書き加えるあたりは、これは非常に巧妙な、「神の摂理」をカサにきた「脅し」でしょう。


もしかすると、執筆者当人すら自覚がないのかもしれませんが・・・「ニューズレター」の中には、手を変え品を変えての「脅し」が沢山含まれています。
「脅し」の内訳を極簡単に書けばですね・・・要するに、「これが受け入れられないアンタは、霊性が低いってことっ!」「霊性が低くなりたくなかったら、受け入れるのねっ!」・・・って感じでしょうか?
これらは、明らかに「批判」を意図として書かれた文章ばかりでなく、ごく普通の文章の中にも多く見られます。


一例をあげるならば、この文章などは、その典型でしょう。


この点を考えると、スピリチュアリズムに出会った人が、霊的真理の普及を第一にせず、それ以外のことを優先するのは間違いであることになります。
霊的真理を知った人が、世間一般のボランティアと同じことをして満足するのは許されないことになります。
真理を知っているということは、いまだ一般の人々が知らない救いの方法を知っているという特別な立場に立っているということを意味します。
本当の救いを知らない人々に、真実の道を教える霊界の人々と同じ立場に立っているのです。
スピリチュアリストは霊界の「高級霊の道具」として、霊的真理を一人でも多くの人々に伝える使命を持っています。
地上の人々に対して、最高次元の奉仕と人助けをする特別な役割を担っているのです。
 従って「霊的真理」を知りながら、それを他人に伝えようとしない人は、大きな“利己主義”の過ちを犯すことになります。
どのようなボランティアよりも遥かに優れた人助けの方法を知りながら、自分なりのボランティアで善しとすることは、スピリチュアリズムに導かれた人間にとっては許されないことなのです。
物質レベルでの人助け、肉体レベルでの奉仕は、他の人が代わりを務めることができます。
しかし、霊的真理を伝え霊的救いの道を示すことは、他の人では代わりが効かないのです。
大きな奉仕の立場とチャンスを与えられながら、わざわざ低いもので満足することは間違っているのです。
(ニューズレター11号より)


なんと言ったらよいでしょうか・・・そうですね・・・こちらに知らず知らずのうちに「罪悪感」やら「居ても立ってもいられない気持ち」を抱かせる・・・それが、ニューズレターの一つのスタイルです。
「私って、なんて駄目なんだろう」と思わせる、これです。
誰でも、読んでいるうちに、あまりにも数多く細かい「罪悪感」が、じんわり自分にわきおこるので、それをなんとか打ち消したくなってきます。
そして、その「罪悪感を打ち消す一番手っ取り早い方法」こそが、「ニューズレターの内容を、疑問に思うことなく受け入れること」なんですよね・・・。
脅されると同時に、「真理を知っているということは、いまだ一般の人々が知らない救いの方法を知っているという特別な立場に立っているということを意味します。」・・・と、つまりは「あなたってもともと特別な存在なのよぉ〜 選ばれた人なのよぉ〜」と「煽てられて」もいるので、「受け入れる」ことは案外簡単に進みますが、こうしてイビツな「選民意識」まで植え付けられることで、さらに新たな「罪悪感」が発生します。



そう、何度も書いた「反動形成」です。
自分の中の「罪悪感」を打ち消す為に、「そういう不愉快な感情を与える相手」を受け入れようとしたり、それに同化さえしようとしてしまう心理です。
そして、これに縛られると、大抵の人間は、なかなかそこから抜け出すことができません。
かなりオソロシイ、心の不思議な一面です。


でも、このカラクリにさえ気がつけば、人は、そうそう「ニューズレター」に影響されたり、ましてや信じ込んでしまったりすることはないと思いますが、いかがでしょうか・・・。




◆追記◆


「心の道場」の活動には、確かに感謝すべき点は多くあります。
私は何も、すべてを否定したいのではありません。


ただ、「ニューズレター」を読んでいると、どんどん自分自身としての自由な発想ができなくなっていくような気がするのです。
自分ではなく、ニューズレターの価値観で生きなければ「霊性」は向上しない・・・ような気がしてくる、その息苦しさに、耐えられなくなってきます。
そもそも「霊性」を向上させる・・・ということ自体が、ニューズレター、ひいては「心の道場」の価値観なんですが、こういった「自分自身から乖離した発想」に縛られることは、私は絶対に不健康なことだと思います。